AI面接官と本物の違いは“目線”だった 機械に見抜けない、“人間らしさ”の本質とは?

はじめに:AIが面接をする時代がやってきた

「AI面接官」が現実のものとなっている。

すでに大手企業や一部の自治体では、採用プロセスにAIを導入しており、一次面接はすべてAIによって自動化されているケースもある。応募者がカメラの前で自己PRを話し、表情や話し方、使っている単語などから「適性」や「スキルの再現性」がAIによってスコアリングされていく。

確かに、評価のばらつきを抑える、作業コストを減らす、採用の属人性を排除するという点において、AIは優秀だ。

だが、ある実験で浮かび上がったのは、意外な“違和感”だった。

「話しやすいのに、どこか不安」
「評価されてる気がしない」
「目が合ってないように感じる」

それは、AI面接官に感じた“目線のズレ”だった。

「見られている」のに、「見られていない」感覚

実際の面接では、採用担当者が目の前に座り、応募者の表情、声、態度、仕草を見ながら会話をする。その中には、言語化されない“読み合い”がある。

言葉には出さずとも、「うんうん」とうなずくタイミング、質問の前の間(ま)、視線の合わせ方、離し方。こうした非言語的なコミュニケーションが、面接という空間を形作っている。

一方、AI面接は「目」を持たない。あるいは「人間の目のように」見ていない。

画面上に現れるのは、仮想的なアバターだったり、あるいは無機質な質問リストだったりする。応募者は、カメラのレンズを“人の目”だと思い込み、話す。

だが、その先に“誰かがいる感覚”は、最後まで得られない。

この「誰かに見られているようで、誰にも見られていない」感覚が、人間にとっては大きな不安を生む。目が合わない会話は、心が通わないと感じてしまうのだ。

AIは“言葉”を見る、人間は“目線”を感じる

面接におけるAIの評価軸は、基本的に以下のようなものだ。

  • 表情の動き(目尻の上がり方、口角の動きなど)
  • 声のトーンやスピード
  • 使用されている単語やキーワード
  • 発話の一貫性、構造性
  • 過去のデータとの比較・類似度

これらは、「言葉の表面」と「見た目の挙動」だ。つまり、“話している内容”と“見た目の反応”だけで、人を評価する。

だが、人間の面接官はそこだけを見ているわけではない。むしろ、話していない瞬間にこそ「この人は信頼できるか」「素直な人物か」「何か嘘をついていないか」を直感的に見抜こうとしている。

それは、面接中の“視線の揺らぎ”だったり、“一瞬の沈黙”だったりする。その「目の奥の感情」を感じ取る感覚こそが、人間の面接力の本質なのだ。

“目線”という非言語データは、なぜAIに扱えないのか?

AIが面接に用いるデータは、あくまで数値化できる情報だけだ。だが“目線”とは、極めて文脈依存で、個人差が大きく、数値化が難しい情報の代表格である。

たとえば、以下のようなシーンを考えてみよう。

  • 自分の過去の失敗を語るとき、目線がやや斜め下に落ちる。
  • 成功体験を話すとき、目線が真っ直ぐ前を向く。
  • 苦手な質問をされた瞬間、瞬間的に視線が泳ぐ。

人間の面接官であれば、「あ、この質問には答えたくないんだな」「この経験には誇りを持っているんだな」といった“裏の気配”を読み取ることができる。

だがAIは、視線の方向を「角度」「頻度」「変化量」としては記録できても、それが何を意味しているのかまではわからない。

“目線”は、視線ではない。
視線が「どこを見ているか」だとすれば、目線とは「どういう心で見ているか」である。

この“心の向き”までを捉えることは、現段階のAIにはまだ難しい。

本当に「公平」なのか?AI面接がはらむ倫理的ジレンマ

AI面接のメリットとしてよく挙げられるのが、「評価の公正性」だ。

人間のように、性別、年齢、見た目、話し方、出身地などで無意識にバイアスがかからない。だから公平だ、と。

だが、この“公平さ”も、見方を変えると危うい。

AIは、過去のデータから「好ましい人材像」を学習する。その学習データが、過去の採用結果や人事評価に基づいているなら、その過去の“偏り”を継承する危険性がある。

たとえば、「明るく大きな声で話す人」が評価される会社のデータを学習すれば、控えめな人、緊張しやすい人、声の小さい人は「不適正」として処理されてしまう可能性がある。

つまり、AI面接は“過去に選ばれてきた人間像”を再生産してしまう仕組みなのだ。

機械は「採る」ことはできるが、「惚れる」ことはできない

面接とは、「人を採る行為」であると同時に、「人に惚れる行為」でもある。

職歴やスキル、話し方、論理性…。それらだけで判断されているわけではない。

「この人と一緒に働きたい」
「この人の可能性を信じたい」
「なんか、いいな」

その“なんか”に反応できるのが、人間の感性だ。

AIには、まだこの“なんか”がわからない。

たとえ表情の筋肉の動きを解析し、「誠実そう」「不誠実そう」といったスコアを付けることができても、人間の「この人に惚れた」という感情までは模倣できない。

それは、膨大な文脈と、瞬間の直感、そして“目線の交差”によって生まれるものだからだ。

「効率」と「体温」、どちらを選ぶのか?

AI面接は、間違いなく今後も広がっていくだろう。

特に応募者数が多い企業や、短期間で大量採用を行う業種では、そのコスト削減効果は魅力的だ。だが同時に、「人間を見抜く」という行為から、少しずつ“体温”が失われていく。

応募者にとっての面接は、「評価される場」であると同時に、「見てもらう場」でもある。話を聞いてもらう、目を合わせてもらう、表情に反応してもらう――。

この“対話の温度”がなくなったとき、面接はただの「処理プロセス」になってしまう。

おわりに:AI面接の先にあるべき“目線の再定義”

結論として、AI面接が「良い・悪い」ではなく、「人間が何を重視するか」の問題である。

AIは優れたツールだ。
だが、「目の奥にあるもの」を見る力、
「惚れる直感」に従う勇気、
「沈黙の重み」を感じ取る感性――

これらは、まだ人間だけが持つ“特権”なのかもしれない。

面接における「目線」とは、単なる視線のことではない。それは、“心を向ける方向”そのものだ。

AIがいずれこの“目線”を持つ日が来るとしても、今の私たちにできることは、ただひとつ。

「どこを見て、誰を見て、どう見たいのか」を、今一度問い直すこと――

人を見抜く力は、目に宿る。
そして、その“目線”こそが、AIと人間の間に横たわる、最後の壁なのかもしれない。